貝が喋る

あぶくのような言葉たち

空白

今週のお題「カメラロールから1枚」

 

 

カメラロールから一枚。

 

粋なお題ですね。

カメラロールを見返す中で、懐かしい写真、思い出深い写真を見つけて、ほっこりする。そんな光景が浮かびます。

 

しかし、こと自分に関しては、あまりいい写真が見つかりませんでした。

 

特に最近は、特筆すべき出来事もなかったため

カメラロールがゲームのスクショや、授業ノートで溢れてまして。

 

このお題は見送りかなぁ、などと考えていたのですが

むしろ、これといった写真がない、という事実にスポットを当ててみようかと思いました。

 

今回は、『撮らなかった』写真についてです。

 

僕は元来、写真があまり得意ではないので

自撮りなどはもちろんしないし、集合写真では極力目立たない端っこに構えるようにしています。

 

自分が撮られることが苦手だと、必然的に人の写真も撮らないもので

僕が自主的にとる写真は、大体生き物か、風景です。

 

そんな僕が、『撮らなかった』写真。

 

真っ先に思い浮かんだのは

『初めて付き合った女の子とのツーショット』

でした。

 

その子とは高校時代、半年ほどお付き合いさせていただいていたのですが

僕らはまだ若くて、でも若いからこそできる舞い上がった付き合い方をしていたんです。

 

彼女に関しては、今ではいい思い出だし、あの頃から僕は女性を見る目があったと自負しているのですが

写真は、撮らなかったですね。

 

彼女も当時だったら、恥ずかしがったでしょうけど。

 

それから、もう一つ。

 

『昔好きだった女の子』

 

その子とは何度か、二人でいろいろな場所に出かけたのですが

プライベートなタイミングで、その子の写真を撮ったことはありませんでした。

 

その子といった場所、遊んだゲーム、そういうものの写真はたくさん残ってるんですけど。

その子の写真、ないしツーショットといったものは、なぜか撮ろうと思わなかったですね。

 

一応、注釈として

初めて付き合った女の子も、昔好きだったその子も、めちゃくちゃ顔はかわいいんですよ。

 

かわいいっていうか、綺麗っていうか。

少なくとも、見た目が好みじゃないから写真を撮らなかった、というわけではありません。

 

おそらく、その頃の僕は

『写真を撮ることで喜ぶ女の子がいる』

ということを、知らなかったんでしょうね。

 

僕自身、自分の写真が好きではないので

撮られて喜ぶ、その気持ちが、いまいち理解できないんです。

 

ただ、『そういう人もいるんだ』とわかってからは

比較的意識して、写真を撮るようにしていますね。

 

でも、個人的には、『写真のない関係』が嫌いじゃないかな。

 

写真が残っていると、それが一つの象徴になるじゃないですか。

たとえ別れたとしても

『あぁ、この頃は仲が良かったな』

って思いを馳せるきっかけになる。

 

けど、写真が一枚もないと

時が経つにつれて、その時の関係がどんどん希薄になっていくと思うんですよ。

 

もちろん、彼女にもらったもの、行った場所、聞いた音楽など

彼女を思い出すきっかけはいたるところにあるんですけど

 

文字通り、『顔』がぼやけてく。

 

彼女の『顔』が思い出せなくなったら

ものも、場所も、音楽も、大した説得力は持てない気がするんです。

 

すがれるものがないっていうか。

あの時確かに好きだったはずの、その気持ちまで、あやふやになる感覚。

 

でも、人間関係って、本来そうじゃないですか。

確かなものなんて何一つなくて、それでも僕らは『好きだよ』って言い続けるわけで。

 

だから写真がなくて、あの頃の輪郭が徐々に溶けていく中で

それでも『好きだった』って言うことに、一定の意味がある気がするんですよね。

 

『撮った写真』に確かに意味があるように

『撮らなかった』その空白も、大事にしていきたいと思うんです。

 

…別に、写真が本当に嫌いで、絶対に撮りたくない、ってわけじゃないですよ。

撮ろうって言われたら普通に撮るし、前述した通り最近はちょっと意識的に、人の写真を撮るようにしています。

自分が少し苦手なことだからこそ、ですね。

 

ただ、『写真を撮らなかった』あの頃も

それはそれで、悪くはないなぁ、と思ったんです。

 

お題に則さない文章で、すみません。

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございますm(__)m