貝が喋る

あぶくのような言葉たち

右ストレート

コロナにかかった。

40℃以上の熱に浮かされながら、ぼんやりとこのまま死んでも別にいいなと考えていた。特に何か、やり残したことがあるわけではないし、何より疲れた。

ここ最近で僕は、失い過ぎた。

もう積極的に何かをする気もわいてこない。何もしなくて済むのなら、それに越したことはない。そんな思いで目を閉じた時に、ふと思った。

もし僕がこのまま死んだとしたら、葬式で一体、どんな風に語られるのだろう。

きっと、僕の人生が吐くほどきれいに要約されるのだろう。友人や家族に恵まれ、学業に秀で、周囲の人に思いやりを持ち笑顔を絶やさず…

ふざけるな。

世界のくくりの中で、最後まで勝手にいいように扱われ、毒にも薬にもならない終わり方をするのなんて、文字通り死んでもご免だ。

僕の弔い方は、僕が決めるんだ。世界にいいようにされるのだけは絶対に嫌だ。

 

どうやらこれが当面の、生きるモチベーションになりそうだ。生きたい理由も見当たらないが、死にたくない強い理由ができた。

何らかの方法で、世界に一泡吹かせるまでは、死んでたまるか。

 

あいつの顔に思いっきり、右ストレートをぶち込んでやるんだ。

雪山、一面の白い雪山。

そこに降り注ぐ吹雪は、一粒一粒が鋭くとがって

ゆく人々の肌を的確に、えぐり、切り裂く。

雪の粒が肌に当たるたび、血飛沫が宙に花開いて

ルビーのように輝いて、一瞬の光を焼き付けて

雪の上に、その痕を残す。

 

千切れては、跳ねて

赤いフラッシュがまたたいて、落ちる。

それがすごく、きれいで。

綺麗で綺麗で。

 

僕も、血を流したかったんだ。

その雪が、赤く光った雪が

あまりにも美しかったから。

 

あんなふうに、僕もなれたら。

一瞬の光を残して、溶けて消えるような。

吹雪がかき消すその前に、鮮烈で眩い輝きを残せたら。

 

旅人は一人、また一人と倒れていく。

積み重なる死体の山を、雪が留保もなく埋めていく。

血飛沫の名残だけがそこに残るけど

それさえやがて、歴史が忘れ去ってしまう。

 

さようなら、さようなら。

あなたの名前も知らないけれど。

 

さようなら、さようなら。

その光には、名前もないけど。

 

僕がずっと、忘れないから。

この舞台に立って、踊るから。

 

あなたの死体を、踏み締めて。

あなたの華に、囲まれて。

反吐

例えば、今自分の目の前に

「これが神様です!この方が、世界の全てを司っています!」

という言葉とともに、偶像が差し出されたとする。

 

とりあえずそれを手に取って、繁々と眺めたのちに、おそらく僕は丁寧にそいつの四肢をちぎるだろう。

 

腕と足がバラバラになったら、首をもぎ取り、胴体を砕く。粉々になったそれに煙草の火を押し付けて、燃え上がる炎に向かって、中指を立てるだろう。

 

世界を、呪いたい気分だ。

 

夜行バスの乗り心地は最悪。隣席の独り言が耳に障る。エンジン音がうるさい。照明がちかちかする。感じる全てが、鬱陶しい。

 

涙が流れる気配もない。現実逃避にも身が入らない。景色が全く色を持たない。口に残った煙草が不味い。

 

あぁ、反吐が出る。

反吐が出る

満員電車

空気が一気に、気怠く蒸れる。

人の群れが空間を圧迫して、余白を消す。誰もが自分の領域を意地汚く主張して、それを広げようと手を伸ばす。僕は慌てて本を取り出し、中に逃げ込もうとする。活字と想像力で扉を閉めて、息を潜めて隠れている。けれど伸ばされた手は構うことなく壁を破って、部屋の中をまさぐってくる。ざらりとした感触が、肩を掠める。

僕は慌ててイヤホンを取り出し、音楽をかける。破れた壁を塗装して、さらに強固に固めて閉じる。外はいつの間にかたくさんの手で溢れていて、それらは餌に群がる蜘蛛のように、蠢き続ける。僕はただその部屋の隅で、手がそこを去るのを待っている。

大きな揺れと共に、壁に穴が開く。開いた穴から一本の手が、触手のように伸びてくる。手は指をわらわらと動かしながら、空間を貪り、犯し続ける。指の一つが眼前を掠め、僕は息を呑む。手は無造作に動いていたが、やがて大きく指を広げて、僕に襲いかかってくる。

 

ガタン。

 

電車が停止し、扉が開いた。

 

人が次々に吐き出され、失われた余白が戻る。手は僕の鼻先で動きを止めて、そのまま外へと戻っていく。壊れた壁が修復されて、世界が静寂を取り戻す。

 

僕はほっと息をついて、閉じていた本をゆっくり開く。

空白

今週のお題「カメラロールから1枚」

 

 

カメラロールから一枚。

 

粋なお題ですね。

カメラロールを見返す中で、懐かしい写真、思い出深い写真を見つけて、ほっこりする。そんな光景が浮かびます。

 

しかし、こと自分に関しては、あまりいい写真が見つかりませんでした。

 

特に最近は、特筆すべき出来事もなかったため

カメラロールがゲームのスクショや、授業ノートで溢れてまして。

 

このお題は見送りかなぁ、などと考えていたのですが

むしろ、これといった写真がない、という事実にスポットを当ててみようかと思いました。

 

今回は、『撮らなかった』写真についてです。

 

僕は元来、写真があまり得意ではないので

自撮りなどはもちろんしないし、集合写真では極力目立たない端っこに構えるようにしています。

 

自分が撮られることが苦手だと、必然的に人の写真も撮らないもので

僕が自主的にとる写真は、大体生き物か、風景です。

 

そんな僕が、『撮らなかった』写真。

 

真っ先に思い浮かんだのは

『初めて付き合った女の子とのツーショット』

でした。

 

その子とは高校時代、半年ほどお付き合いさせていただいていたのですが

僕らはまだ若くて、でも若いからこそできる舞い上がった付き合い方をしていたんです。

 

彼女に関しては、今ではいい思い出だし、あの頃から僕は女性を見る目があったと自負しているのですが

写真は、撮らなかったですね。

 

彼女も当時だったら、恥ずかしがったでしょうけど。

 

それから、もう一つ。

 

『昔好きだった女の子』

 

その子とは何度か、二人でいろいろな場所に出かけたのですが

プライベートなタイミングで、その子の写真を撮ったことはありませんでした。

 

その子といった場所、遊んだゲーム、そういうものの写真はたくさん残ってるんですけど。

その子の写真、ないしツーショットといったものは、なぜか撮ろうと思わなかったですね。

 

一応、注釈として

初めて付き合った女の子も、昔好きだったその子も、めちゃくちゃ顔はかわいいんですよ。

 

かわいいっていうか、綺麗っていうか。

少なくとも、見た目が好みじゃないから写真を撮らなかった、というわけではありません。

 

おそらく、その頃の僕は

『写真を撮ることで喜ぶ女の子がいる』

ということを、知らなかったんでしょうね。

 

僕自身、自分の写真が好きではないので

撮られて喜ぶ、その気持ちが、いまいち理解できないんです。

 

ただ、『そういう人もいるんだ』とわかってからは

比較的意識して、写真を撮るようにしていますね。

 

でも、個人的には、『写真のない関係』が嫌いじゃないかな。

 

写真が残っていると、それが一つの象徴になるじゃないですか。

たとえ別れたとしても

『あぁ、この頃は仲が良かったな』

って思いを馳せるきっかけになる。

 

けど、写真が一枚もないと

時が経つにつれて、その時の関係がどんどん希薄になっていくと思うんですよ。

 

もちろん、彼女にもらったもの、行った場所、聞いた音楽など

彼女を思い出すきっかけはいたるところにあるんですけど

 

文字通り、『顔』がぼやけてく。

 

彼女の『顔』が思い出せなくなったら

ものも、場所も、音楽も、大した説得力は持てない気がするんです。

 

すがれるものがないっていうか。

あの時確かに好きだったはずの、その気持ちまで、あやふやになる感覚。

 

でも、人間関係って、本来そうじゃないですか。

確かなものなんて何一つなくて、それでも僕らは『好きだよ』って言い続けるわけで。

 

だから写真がなくて、あの頃の輪郭が徐々に溶けていく中で

それでも『好きだった』って言うことに、一定の意味がある気がするんですよね。

 

『撮った写真』に確かに意味があるように

『撮らなかった』その空白も、大事にしていきたいと思うんです。

 

…別に、写真が本当に嫌いで、絶対に撮りたくない、ってわけじゃないですよ。

撮ろうって言われたら普通に撮るし、前述した通り最近はちょっと意識的に、人の写真を撮るようにしています。

自分が少し苦手なことだからこそ、ですね。

 

ただ、『写真を撮らなかった』あの頃も

それはそれで、悪くはないなぁ、と思ったんです。

 

お題に則さない文章で、すみません。

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございますm(__)m

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空気はもう、初夏ですねぇ。