貝が喋る

あぶくのような言葉たち

薄っぺら文学

お腹がすきましたねぇ。

読者の皆様がどうかはともかく、僕は今、とてもお腹がすいています。

 

お腹がすいたので、ラーメンを食べながら、このブログを書いています。

 

現在時刻は、午前一時。

 

深夜に食べるラーメンって、どうしてこんなに美味しいのでしょうかねぇ。

 

 

おっと、ラーメンで思い出しました。

 

みなさんは、最も「文学的」な食べ物って、何だと思いますか?

 

 

いや、食べ物に文学的も、哲学的もないだろうと思われた方。

全くもって、その通りだと思います。

 

食べ物はみな等しく食べ物的であり、それ以上でもそれ以下でもない。

そう考えた方が話はシンプルだし、実際その通りだとも思うのですが、まぁここはひとつ

暇つぶしの遊戯だと思って、ちょっと考えてみてください。

 

食べ物が「文学的」とは、いったいどういうことでしょう。

 

八つ橋などは、京都名物であることも相まって、なかなか雅な感じがしますね。

落語にからめるのなら、サンマや饅頭。昔話にかこつけて、おにぎり、柿、きび団子。

 

考え方はいろいろあります。

もちろん、問いが適当である以上、正解なんてありません。任意の食べ物が文学的、という回答だってありでしょう。

 

ただ…

僕にはどうしても、ぬぐえないイメージがあるんです。

 

僕にとっての、文学的な食べ物。

 

何をかくそう、それは「カップ焼きそば」です。

 

もしかすると、もうお察しの方もいらっしゃるかもしれません。

そう、全ての元凶はこの本です。↓

https://www.amazon.co.jp/s?k=%E3%82%82%E3%81%97%E6%96%87%E8%B1%AA%E3%81%8C%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97%E7%84%BC%E3%81%8D%E3%81%9D%E3%81%B0&hvadid=335385645305&hvdev=c&jp-ad-ap=0&tag=yahhyd-22&ref=pd_sl_3r3nk2ud57_e

 

『もしも文豪たちが、カップ焼きそばの作り方を書いたら』

 

この本は、村上春樹森見登美彦、はては入試問題や漫才師に至るまで

ありとあらゆる書き手が、それぞれの作風でカップ焼きそばの作り方を教えてくれるという、なんともインスタントでユーモラスな代物です。

 

私見ですが、この本はあくまで「文学的」なのであり、間違っても「文学」ではない。

 

物理的には厚いけど、内容はぺらっぺら。

 

手を変え品を変え、ただ「かやくをあけて、お湯を注いで三分待って、湯切りをしましょう」と書いてあるだけ。

 

でもねぇ、僕はこの本、

 

大好きなんです。

 

 

この本のせいで、僕はスーパーであえてカップ焼きそばを買うようになったし、湯切りをしていざ口にするときなんか、気分はもう太宰治です。

 

恥の多い食生活を送ってきました。

 

いや、本当にくだらない本なんですよ。

でも極論言うと、くだらなさって何かの拍子に、世界を救えると思うんです。

 

だって例えば、朝のニュースでどのチャンネルも

 

「お隣の庭先で、野良猫が子供を産みました」

とか

 

「昨日○○さんが、スーパーの福引で見事ニ等を引きました」

 

とかだったら、なんていうか、力抜けません?

いや、確かに生活は回んないけど。

 

なんていうか、こういう無害で、かつクスっと笑わせてくるようなコンテンツが持つ役割って、僕達が普段感じているより大きいと思うんです。

 

この本だってそう。

有意義な主張とか、ためになる生活術とかが書いてあるわけじゃないけれど

閉鎖して、息苦しかった日常に、少しだけさわやかな風を吹かせてくれます。

 

仕事で疲れている方や、子育て、テストで参っている方。

文学が好きだけど、普段は活字に触れる時間がないという方にこそ、手に取ってもらいたい一冊だなと思います。

 

本当内容なくて、すぐ読めますから。

 

その文豪を知らなくても、なんとなく雰囲気で面白いのは、この本のすごいところだと思うので、おススメです!

 

これを読んだらあなたもきっと、カップ焼きそばに文学を感じるようになることでしょう。