貝が喋る

あぶくのような言葉たち

姉と僕と英語と

どうも、貝です。

 

僕には、二つ上の姉がいるんですけど。

以前一度だけ、このブログにも登場したと思いますが、この姉がまぁ、面白くて。

 

本当なら、姉のエピソードだけで十個くらい記事が書けるんですけれど。

残念ながら、今回はお題が決まっているので。割愛します。

 

「わたしと英語」。

なぜ、姉の話になったかというと、実は姉が今、カナダへ留学へ行っていまして。

いまで大体、一年くらいかな。結構長いこと行ってるんですけど。

 

もう、ペラペラなんですよ。英語。

いっそ日本語よりも話せるくらい。

 

しかも何がすごいって、姉が最初にカナダへ飛んだのが、姉が高校生の頃なんですが。

 

その頃の姉は、英語なんてこれっぽっちも話せなくて。

会話どころか、自己紹介の一つもできない。

お店で注文を言っても、欲しいものが買えることはほぼありませんでした。

 

もう、大変でしたよ。当時は。

 

毎日毎日

「もうやだぁぁぁぁ‼」

「帰りだいぃぃぃぃぃぃぃ‼」

 

と、ケータイに電話がかかってくる日々。

本当に、泣いてましたね。毎日。誇張なしで。

 

弟が、ちょっと本気で心配するレベル。

 

ですが、当たり前だけど、カナダと日本って遠いですから。

帰ろっかなー、って思って、帰れる場所じゃあありません。

 

一度行ったら、試練を達成するまで戻ってこれない。

RPGのラスボスのような場所なのです。

 

結局、姉はなんだかんだ

そこで三か月を過ごし切り、晴れて日本へと戻ってきました。

 

あれから長い月日(長いとか言うと、とある方面から怒られますが)が経ち、今姉は、三度目の留学の最中です。(三度目だよね?)

 

今となっては先述のとおり、姉は英語がペラペラです。

リトルマーメイドの名曲『Under the sea』を、カラオケの十八番とするくらい。

 

姉はカナダへ飛ぶことで、英語の技術を身に着けましたが

それと同じくらい、いやもしかするとそれ以上に、自分に対する『自信』を身につけて帰ってきました。

 

そう。

この、「英語」という能力は、彼女が生まれて初めて自発的に、苦労しながら、自分自身の手でつかみ取った大きな大きな宝なのです。

 

だから、僕にとって「英語」とは

まずは姉の努力の象徴、ですね。

 

「わたしと英語」というお題なのに、「姉の」て。

まぁでも、本当のことですから。しょうがない。

 

さて。

ここから少し、僕の話をしていきましょう。

 

姉が留学しているのに便乗して

一回生のころに、カナダへ遊びに行ったんですが。

 

その時、なるべく姉に通訳してもらわずに

自力で頑張って、英語で話すようにしていたんですよ。

 

そこで、わかったことがいくつかあって。

  • 一番大事なのは、喋ろうとすること
  • 間違っていても、なんだかんだ通じる

 

ていうのも、自分的には大きな発見だったんですけど
その時一番感じたのは
 
言語の違い=文化の違い
 
ということですね。
 
いや、当たり前じゃん、て思うかもしれないですけど。
でも、ちょっと考えてみてください。
 
例えば、イヌイットの人たちの言語では
「雪」に関する言葉が、十個以上あるといいます。
 
僕達にとっては同じ「粉雪」でも、それを区別する言語を持った彼らにとっては、全く別の何かかもしれない。
 
言語を知る、ということは、文化を知る、ということなのです。
 
僕は普段
少し考えすぎなタイプなのですが
 
英語という、構造がシンプルな言語を使うことで
少しだけ、脳がすっきりしたような気がしました。
 
言語によって、思考が引っ張られたんですね。
 
そういう意味で、たった一週間の旅行だったのですが
世界が少々、広がった気がします。
 
 
最近はめっきり、英語に触れる機会も少なくなっていたのですが
先日、ひょんなことから異国の友人ができまして。
 
彼女(きれいな女性なんですけど)は日本語が上手なうえ、中国語、それから英語も操ります。
 
日本語で話すことももちろん可能ですが、意味が通じないときや語彙が足りないとき、いったん英語を介することもしばしばあります。
 
言語が気づかせてくれた、文化の違い。
それを心にとどめながら、ささやかな縁の一つ一つを、大切にしていきたいですね。
 
 
最後まで読んでくださり、ありがとうございましたm(__)m

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